2016年08月25日

親子でゲームをすること@

みなさん、こんにちは。

井尻サイコロ塾財津です。

今日は「親子でゲームをすること」についてです。


小さい頃、母親がトランプゲームに付き合ってくれたことがあったなぁ、
などちょっと思い出しながら書いています。

map_family_shinken.png


親子で何か?をすること自体、
教育的な意味合いで推奨されることですので、
ここでは、「ゲーム」をすることの良い点をご紹介します。
いくつかあると思うのですが、まずは思いつくところから。


それは、子どもの力、その成長に気づく機会となることです。
学校の授業参観では見えないことです。


知識が身についているかどうか?
ではなくて、ゲームを通すことによって現れる、
知恵、賢さ、我慢強さあるいはその逆、
ずる賢さ、狡猾さ、短気さ
そういったことに気づくことになります。


なぜそうなるか、というと、
ゲームが子どもの「勝ちたい」欲求を刺激するからです。
それも、一緒にやっている自分の親に。
そして、そうできる可能性がゲームであればあるから。


もちろん、考えうる手もその深さも、
子どもと大人では差が出るのですが、
そんな中であっても「勝ちたい」という欲求を満たすため、
とにかく必死になります。


「いやいや、それなら子ども同士がゲームをしている場面を見ればよいのでは?」


確かに、その場面も見てもらいたいですが、
子どもと一緒に親がゲームをする意味は確かにあります。


それは、一緒に感情を共有する体験です。
ゲーム中の「悔しさ」や「嬉しさ」を自分のものとして感じ、
また、親である「自分」が感じるからこそ子どものそれがわかるのです。


「ゲーム」の中では否応なく、
子どもも、そして親自身も同じスタート地点に置かれます。
ルールや運の元で平等であるからこそ、
子どもの感じる原体験を大人である親も感じられる可能性があります。


というわけで、少しまとまりは悪いですが、
以上が「親子でゲームをすること」の意味です。


さて、井尻サイコロ塾の夏休み講座も8月27日(土)で終わり。
27日(土)は普段は出さないゲームで遊びます。
よければ、親子でいっしょに参加してもらえるとよいですね。
posted by サイコロ塾塾長 at 10:09| Comment(0) | そのほか

2016年08月18日

ごいた

こんにちは!!


今回のブログでは、「ごいた」を紹介します。
このゲームは、日本発祥、
それも石川県の特定の地域で今も伝統ゲームとして、
盛んに大会が開かれているゲームです。


IMG_1017.JPG

ゲームの概要を簡単に。
使用するのは、将棋のコマに似たコマです。
実際の伝統ゲームでは竹から切り出したコマを使用しますが、
サイコロ塾では簡易版のカードを使っています。


各カードには、
「王」「金」「銀」「馬」「飛」「角」「香」「し」が、
書かれていて、それぞれ枚数が決まっています。


このゲームは4人専用で、しかも、2人対2人のゲームになっています。
同じチームになった2人がそれぞれテーブルで、
向かい合う様に座ります。


全32枚のカードを4人に8枚ずつ配り、
親になった人からカードを出していき、
カードを早く出しきった方のチームがその回に勝利します。


カードの出し方ですが、
親ははじめに1枚を伏せて出し、
その下に「攻め」のカードを1枚出します。


順番が次の人に回って次の人ができることは、
「攻め」のカードと同じカードを出して「受け」るか、
パスをしてさらに次の人に回すかのいずれかです。


「受け」ることができるのは、
基本的には同じ種類のカードですが、
「王」は「し」「香」以外のすべてのカードを
受けることができます。


親が出したカードを誰も「受け」ずに、
全員がパスをした場合、
親はさらに1枚を伏せて、
新しい「攻め」のカードを出すことができます。


こうやって、自分の手元のカードを減らして、
一番最後の「攻め」のカードを出したらアガリ、
最後に出したカードごとに点数が変わります。


(↓この場合、「金」であがっているので得点は30点)

IMG_1020.JPG


このゲームの面白いところは、
なんといっても「ペア戦」であるところです。


ゲーム中は具体的な相手への言葉による指示は「なし」、
ということにしています。
例えば、自分が出したカードをチームのもう1人に、
「受けてほしくないなぁ」と思っていても、
それを直接伝えることはできないので、
自分がこれまでに出したカードだとか、あるいは、
これまでほかの人が出したカードから推測してもらいます。


もちろんその時に、チームになっている相手の傾向などを
読む必要もあって、それらを頼りにカードを出します。


ある程度は、絞り込めても最後の最後は、
呼吸を合わせる必要があったり、
踏み込んでカードを出さなければいけなかったり、
そういうドキドキ感が子どもに受けているのかもしれません。


また、「最後に伏せたカードと同じカードであがると得点2倍」、
というルールが効いていて、
それまでの回で負けていたとして、
一発逆転をねらっているチームは、
カードの出し方の傾向がわかりやすくなるといったこともあります。



たった32枚のカードのみを使うゲームですが、
相手しだいでとっても奥が深く、
それは伝統として長い間残るだけあるなと思わせるゲームです。
(子ども受けも特にいいです)


さて、以下、僕も入って行った回の様子です。
最初の手札はこちら↓


IMG_1018.JPG


「王」が入っていて、
「金」が3枚(全部で4枚)もあるので、
若干強めの手札と言えるでしょうか?


親は僕の右隣の子どもからでしたが、
順調にカードを出していくことができ、
最終局面はこちら↓


IMG_1019.JPG


なんとか手札の強さを活かせました。
ハイライトは「王」で受けた後、
「し」(←最後の「攻め」で伏せています)ではなく、
「金」で「攻め」を行ったところでしょうか。
右隣の子の最後の2枚が「し」と「馬」だったため、
結果として、受けられない「金」を出したことが奏功しました。
「金」を2枚伏せて、得点2倍も狙いたかったのですが、
ここは固く勝利を目指した形となりました。



この「ごいた」。
熱心に布教している団体があったり、
日本伝統のゲームとして伝えていきたいゲームです。
ぜひ一度体験してみて、「相手の意図を読む体験」、
「相手に意図を伝える体験」といった奥深さを味わってほしいです。
posted by サイコロ塾塾長 at 10:27| Comment(0) | ゲーム紹介

2016年08月11日

選択すること

みなさんこんにちは!!


本日は、「山の日」とのこと。
2016年現在の「山の日」認知度は7割ほど。
しかも、「山の日」とは名ばかり、
「家でゆっくり過ごす」とアンケートで答えた人が、
ほとんどだとか・・・
それも1つの「選択」ですかね。


そんな8月11日、夏休み真ん中あたりです。
今日のブログ題名は、「選択すること」です。


kids_cardgame.png


夏休み期間中、サイコロ塾では、15時からの時間を、
「自分たちで話し合って、ゲームをプレイする時間」
としています。


これ、実はこの夏から始めた試みです。
日によってメンバーが変わるので、
どんなゲームをしたいか?
どうやって決めるか?
そういったことが日によって違います。


生きていることは「選択」の連続です。
「選択できる」ということは、
そこに「選択肢」があることを知っていて、
選べる自由があることを指しています。
と同時に選ばない責任もあると思っています。


サイコロ塾では「ゲーム」を中心としています。
「ゲーム」はプレイヤーに選択を常に迫ります。

ーどのコマを動かすか?
ーどのプレイヤーと交渉するか?
ーどちらに進めるか?
ーどのアクションを選択するか?

選択の連続です。
そして、ゲームでは必ずその結果が伴います。
結果によって、自らの選択の是非を知ることができるのです。


15時からの時間は「ゲーム」の外で「選択」を迫られる時間です。
「ゲーム」の外には、相手がいます。
(ゲームの中にもいるんですが、ここで「」つきにしているのは、
明確にゲーム中かそれ以外かをわけるためです)
相手と自分の「選択」の2つかそれ以上が存在しています。


選択肢は提供してあります。
子どもたちは、おのおのに自分がしたいゲームを知っているからです。
(子どもによっては選択できるゲームの幅が狭い子もいます)


あとはどうやって決めていくか?です。
決めるためには根拠が必要になることもあれば、
相手を説得していく必要も出てきます。


ある日は、おのおのがしたいゲームをいったん全部出してきて、
それを行う順番を「じゃんけん」で決めるということをしていました。


また、ある日は低学年の子どものしたいことを尊重して、
ゲームを決める、というやり方もしていました。


さらに別の日には、前のゲームで勝者になった人が、
次のゲームを決めるということもしていました。


これらのいずれにおいても、「選択する」ということには、
何かしらの責任が伴うことがあります。
それは、選ばなかったもの(相手の選択)に対する責任です。


選択したことの背景に、選択しなかったものがあって、
選ばなかったときの可能性も全部受け入れていくことができるとすごいなと思います。


ある日、いつものように順番に、各々がしたいゲームを選んでいくと、
残り時間が少なくなり、最後の1人がしたいゲームが、
できなくなってしまいました。

このときどうするか?
どう気持ちを収めていくか?
「選択しない」ということはどういうことなのか?
「選択」していたらどうだったのか?

子どもたちがしっかりと考えないといけない場面です。


「選択する」ことは、生きていく上でとても大事なことです。
「主体的に人生を生きていく」という感覚は、
この「選べる」ことから出てくる場合が多いです。

選ばされている、ではなく、
自分で「選んだ」という行動であれば、
その結果を見守って、責任を持つ、ということができると思います。
(ベルトコンベアーに乗せられるのではなく、自らの足で進んでいる感覚です)


ゲームでは、そこまで重くない選択する機会を与えられます。
ここは、自分の選択の結果を見守る時間です。
そして、15時からの時間は、選ばなかったものを知る時間です。


こういった体験を通して、
自ら「選択する」ということの意味を知り、
意思決定をできる子どもたちが育っていくといいなと思います。



単純に15時からの時間は見ていてとても面白いですよ!!
今回のテーマではないですが、
「ルールを守りあう」のに四苦八苦している様子も見れたり、
たくさんのことを子どもたち同士で学んでいるな、と感じます。
posted by サイコロ塾塾長 at 11:00| Comment(0) | そのほか