2016年08月11日

選択すること

みなさんこんにちは!!


本日は、「山の日」とのこと。
2016年現在の「山の日」認知度は7割ほど。
しかも、「山の日」とは名ばかり、
「家でゆっくり過ごす」とアンケートで答えた人が、
ほとんどだとか・・・
それも1つの「選択」ですかね。


そんな8月11日、夏休み真ん中あたりです。
今日のブログ題名は、「選択すること」です。


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夏休み期間中、サイコロ塾では、15時からの時間を、
「自分たちで話し合って、ゲームをプレイする時間」
としています。


これ、実はこの夏から始めた試みです。
日によってメンバーが変わるので、
どんなゲームをしたいか?
どうやって決めるか?
そういったことが日によって違います。


生きていることは「選択」の連続です。
「選択できる」ということは、
そこに「選択肢」があることを知っていて、
選べる自由があることを指しています。
と同時に選ばない責任もあると思っています。


サイコロ塾では「ゲーム」を中心としています。
「ゲーム」はプレイヤーに選択を常に迫ります。

ーどのコマを動かすか?
ーどのプレイヤーと交渉するか?
ーどちらに進めるか?
ーどのアクションを選択するか?

選択の連続です。
そして、ゲームでは必ずその結果が伴います。
結果によって、自らの選択の是非を知ることができるのです。


15時からの時間は「ゲーム」の外で「選択」を迫られる時間です。
「ゲーム」の外には、相手がいます。
(ゲームの中にもいるんですが、ここで「」つきにしているのは、
明確にゲーム中かそれ以外かをわけるためです)
相手と自分の「選択」の2つかそれ以上が存在しています。


選択肢は提供してあります。
子どもたちは、おのおのに自分がしたいゲームを知っているからです。
(子どもによっては選択できるゲームの幅が狭い子もいます)


あとはどうやって決めていくか?です。
決めるためには根拠が必要になることもあれば、
相手を説得していく必要も出てきます。


ある日は、おのおのがしたいゲームをいったん全部出してきて、
それを行う順番を「じゃんけん」で決めるということをしていました。


また、ある日は低学年の子どものしたいことを尊重して、
ゲームを決める、というやり方もしていました。


さらに別の日には、前のゲームで勝者になった人が、
次のゲームを決めるということもしていました。


これらのいずれにおいても、「選択する」ということには、
何かしらの責任が伴うことがあります。
それは、選ばなかったもの(相手の選択)に対する責任です。


選択したことの背景に、選択しなかったものがあって、
選ばなかったときの可能性も全部受け入れていくことができるとすごいなと思います。


ある日、いつものように順番に、各々がしたいゲームを選んでいくと、
残り時間が少なくなり、最後の1人がしたいゲームが、
できなくなってしまいました。

このときどうするか?
どう気持ちを収めていくか?
「選択しない」ということはどういうことなのか?
「選択」していたらどうだったのか?

子どもたちがしっかりと考えないといけない場面です。


「選択する」ことは、生きていく上でとても大事なことです。
「主体的に人生を生きていく」という感覚は、
この「選べる」ことから出てくる場合が多いです。

選ばされている、ではなく、
自分で「選んだ」という行動であれば、
その結果を見守って、責任を持つ、ということができると思います。
(ベルトコンベアーに乗せられるのではなく、自らの足で進んでいる感覚です)


ゲームでは、そこまで重くない選択する機会を与えられます。
ここは、自分の選択の結果を見守る時間です。
そして、15時からの時間は、選ばなかったものを知る時間です。


こういった体験を通して、
自ら「選択する」ということの意味を知り、
意思決定をできる子どもたちが育っていくといいなと思います。



単純に15時からの時間は見ていてとても面白いですよ!!
今回のテーマではないですが、
「ルールを守りあう」のに四苦八苦している様子も見れたり、
たくさんのことを子どもたち同士で学んでいるな、と感じます。
posted by サイコロ塾塾長 at 11:00| Comment(0) | そのほか